* わたしに欲情してください


3.


 
 未の歩みは寅に翼っていうのはね、歳月は才に勢いを添える、つまり、コツコツと続けることによって成功を夢見てるという意味なんよ。と、教えてくれたのは広代さんだった。
 羊の歩み、というのが歳月を意味していて、虎に翼、というのは威を振るう者に更に勢いを添えることの喩えらしい。命名したのはトラオ。さすが詩人だなぁ、と感心する。歌詞を書くだけのことはある。そして、自らのことを威を振るう者に喩えるなんてのも、流石だと思った。こういう才能に頼るような職業の人間は、それくらいの自信を持ってないと続けられないと思うからだ。
「あ、でもね、最初の発案は『未と寅』でええんやない、っておれが言ったんやで」
 トラの方は勿論トラオ。彼の本名・虎弥太の虎の字と、そこから呼ばれていたあだ名に因んでいる訳だが、ヒツジの方は広代さんがいつも着ているTシャツにプリントされた間抜けなキャラクターから取った訳では無い。広代さんが未年生まれで、トラオが寅年生まれだからだそうだ。
「あれ。でもお二人って、専門学校の同級生だったって言ってませんでしたっけ、」
 純粋に感じた疑問を口にする。未、申、酉、戌、亥、子、丑、寅。ヒツジとトラだと、八歳の年の差がある。
 あぁ、それね。広代さんはタコワサを摘んだ。確かに同級生やけど、二人とも高校卒業後に入学したわけやないねん。俺は大学卒業後、トラオは高校を一年経たん内に中退して入ったんや。と言って、バーテンの男の子にテキーラの梅酒を注文する。なるほど。私も自動車整備の専門学校出身だが、同級生の年齢は実に様々だったし、経歴も様々だった。
で、もう一つ気になっていたことを聞いてみた。
「そのTシャツは、デュオ名決めてから集め始めたんですか」
 こないだのランパブのショーでも、先日、尼崎のショッピングモールの中庭で行われたイベントでも、やっぱり同じキャラクターのTシャツを着ていたし、今もまた着ている。広代さんは、にこっと笑った。
「せやで。可愛いやろ、この間抜けなツラが。家に三十枚くらいあるわ」
 尼のイオンにも売ってるで。どお、蛇の目さんも一枚。なんて勧めて来るもんだから、遠慮しときます、と笑顔で返す。
 広代さんみたいな人はいい。
私より五つ以上年上で、体格が大きめで、穏やかな顔つきで、お洒落に無頓着そうな恰好で、そして、妻子持ちの男の人。一番の、好みのタイプかも知れない。一緒にいて、安心する。
不倫願望があるという意味ではない。こういう人は、私のことを変に女性扱いもしてこない。かといって子供のように性別を無視しているわけではなく、既婚者ならではの女性に対する気遣いも出来る。そして絶対に、お互いに恋愛感情を抱く心配がない。
 こんなことを口にしたら自意識過剰だ、なんて思われそうだが、相手の条件の中に寸分でも色欲や恋愛の可能性が考えられる人物であれば、安心して一緒に過ごせない質なのだ。美人というわけではない。むしろ不美人の類だと、自分でも自覚している。だからこそ、警戒している。モテ慣れている美人ならこんな些細なこと気にも留めないだろうし、男の人の好意にも簡単に応えられたり、はたまた流せてしまったりするものだろうけれど。異性の中にいつも居ても、いわゆる女性らしさやモテとは無縁の生活を送って来た私みたいな人間からすれば、ちょっとの出来事を上手くかわすことが出来ないはずだから。
独身で、決まった相手が現在いないような若い男。職場の同僚は別にして、そういうカテゴリーにいる相手は好みやタイプなんかは関係なく、みんなみんな警戒の対象に入ってしまう。ぴりぴりと、神経をすり減らしながら飲むお酒が美味しい筈もない。
だから、広代さんと飲むのは癒しの時間なのだ。
 カランカラン、と鐘を鳴らしながらドアが開き、キーボードの入ったデカイ鞄を背負ったトラオがバタバタと入って来た。
「遅かったねー。ライブお疲れ」
「一時間の遅刻やぞ」
 もう皿の上には料理らしきものは残っていない。適度にお酒の入った広代さんと私が口々に軽口を叩くのを尻目に、トラオはバーテンにチューハイと唐揚げを注文した。約束の時間がそもそも二十時過ぎと遅かったのに、今はもう二十一時十五分。一時間以上も遅刻しているのだが、当の本人は悪びれた様子もなく淡々と注文をし、スマホを取り出してメッセージの返信をし、キーボードを店の裏に置かせて貰って自分の周りを整えていて、謝る気配すら見せない。広代さんもそんなトラオの態度を気にする素振りは見せていない様子から、いつものことなんだろうな、と思う。ライブ終わりの時間は、きっと読めないものなのだろう。他の出演者との付き合いや、箱の支配人との交友もあるのだろうし。
「で。来月の定期ライブの出演者やけど、三十五分企画さんと連絡は取れたん、」
「んー、取れたことには取れたんやけど、微妙なんよね、返答が」
「微妙ってのは」
「リーダーの桝井さんは快くオッケーしてくれてんやけど、どうもメンバーの意見が合わへんみたいで、ちょっと返事待ってくれって言われてて」
「あぁ、それ、アイちゃんやろ。また男問題起こしたんちゃう」
「懲りないねぇ、相手の男も」
「そーいうトラオかて狙われてんやから、気を付けた方がええで」
「無い無い。あの子のキーボード、すきやないし」
「まぁな、判るけども」
「蛇の目サンも観に来てや。来月の第二土曜日」
 そう言って、トラオがカバンからフライヤーを取り出す。受け取ると、未の歩みは寅に翼プレゼンツ第三回定期ライブ、と銘打たれたタイトルで、出演者枠に話題に上っている三十五分企画というバンドの写真も載っていた。キーボードのアイちゃん、というのは一発で判る。メンバーは彼女以外みんな男性だったし、確かに色気のある雰囲気を醸し出している。
「アイちゃんかわいいやん」
 顔を上げるなり言ってみた。無感情に。
「その子ね、ミュージシャン仲間に次々と手ぇ出してんやで。それに俺、年下好みやないし」
「あ、そ。」
 取り付く島もない。
「というわけやから、広代さんススキノチグサさん誘っといて下さいよ」
「判った、声掛けとくわ。せやけど彼女、忙しい人なんやからあんま期待せんとってや」
「了解、了解。あんね、ススキノさんってのはフルート奏者でな、」
 音楽の話をしている時のトラオの目はきらきらと輝いているように見えた。実際、バーのカウンターから揺れる灯りが瞳に映っている所為でもあったし、話の内容を知らない私に解説しようと若干身を乗り出してきている所為もあるのだろうけれど。こんなことを、最近は繰り返していた。週に一回、彼らデュオの打ち合せという名の飲み会に、トラオからお誘いが来るようになって。私は音楽に全く携わってない身ながら、毎度のように飲みの場に同席していた。待ち合わせ時刻はいつも今日くらいの、夕食というにはちょっと遅めの時間。そこに時間ピッタリに現れる広代さんと、だいぶん遅れて来るトラオとの時間の埋め合わせをするように、私は居た。トラオの真意は判らない。誘っておきながら、基本的に私と会話をすることは無い。話すのも、今みたいな話題に上った音楽仲間の話の解説くらいだったし、私から野暮に解説を求めることは滅多にない。それに、そもそもこの集まりの名目は「音楽の打ち合わせ」なわけだし、私の存在意義はそこには毛ほどもないのだ。
 けれど、私もそれなりに楽しんでいるのだから、そこを問いただす気は無い。だって、広代さんと飲むことで癒されている。
広代さんは、トラオと違って勤め人だ。平日は、工務店の下請けをやっているらしい。私と近い線にいるひとだと思う。聞けば、工務店の仕事内容というのは、うちの会社がやっている車輌の清掃や塗装業に似通った部分がいくつもある。対象が家か電車かの違いがあるだけで、室内の清掃も、塗り直しも、やっていることはほぼほぼ同じなのだ。だから、放っておいても会話は弾んだ。互いに、殆ど仕事の話ばかりしているため、同僚と飲みに来たのと変わらない気楽さがあった。そして、彼は結婚している。今年、中学校に上がった娘さんもいる。給与は全て、家のローンに消えるらしい。接待ゴルフも釣りも趣味じゃないという彼の好きなことは、お祭りと酒。それを生かせる趣味として、彼は昔学んだ音楽を選んだ。イベントというのは、主に休日に開催される。音楽のある場所には酒があり、酒のイベントには音楽が付き物だ。広代さんは、会社の公休に当たる土日を利用して、未と寅の演奏を行っている。
「そう言えば蛇の目さんはトラオより年上なんやっけ、」
「そうですよ。三つくらい上だったかな」
「ほうほう。で、トラオは年下は好みやないんやったよな、」
「何が言いたいんスか、広代さん」
「蛇の目さんの好みって、どんな人」
「それはもう、」
 あぁ、自分は関係ない、と思っているからこういうこと気楽に言えるんだろうな。完全に、からかって遊んでいるとしか思えない口調。まさか、このふたりの間に、あの夜のような出来事が起きただなんて思ってもいないような、平和な顔。でも、この様子から察するに、トラオは私との出来事を広代さんには話していないんだと判って、何故かほっとした。
「好みのタイプは、広代さんみたいな人です」
「え。えぇっ、期待してた答えとちゃうやん」
「私、五歳以上年上で、ぽっちゃり系で、髪型や服装に無頓着なひと、めっちゃ好みなんですよ」
「あ。それってつまり、おれが頭ぼさぼさで小太りでダサイ恰好のオッサン、って言いたいんでしょ」
曖昧ににこにこと微笑んで見せる。私もやれば出来るじゃないか、と思う。
「じゃーよかったねぇ。おれがいっつも遅れて来てるから、その間ふたりっきりでイロイロ話しできるでしょー」
 拗ねたようにトラオが言ったが、もしかしたらそれが狙いだったのかもしれない。遅れて来るであろう自分の時間の埋め合わせに、広代さんの話し相手になっておいて貰おう、というような。もしくは、こうやって宣伝しておけば、私から周りに彼らの噂が広まって、顧客確保へ繋がるかもしれない、という計画か。それにしては、効率が悪すぎる。やっぱり、広代さんの話し相手、というのが妥当な筋だろう。
「そうやねぇ。いろいろ話聞けて面白いわ。他の業種の人とゆっくり話せる機会ってのも、滅多にないことやし」
「おれの話は興味なさそうにしてるクセに」
「そりゃあ、興味ないもん。音楽聞くのはすきやけど、音楽業界のことなんて知りたくもないし」
「知ってみたらオモロいかもしれんやん、」
「じゃあアンタは電車に興味湧くん」
 流暢に返していたトラオの口が止まる。
「それと同じや。ウチに興味はあっても、ウチの仕事である電車のことには興味湧かへんのやろ。そういうことなんや」
 仕事のことを根掘り葉掘り聞かれるのは疲れる。稀に、鉄道オタクの人から質問攻めにされることがあるが、私は電車に携わる仕事をしているだけであって、電車好きでもないし勿論マニアというわけでは無い。特別塗装の車輌のお披露目日や塗りの工程のことなんかは、メディアやネット間で情報が拡散していて、従業員の私たちよりもマニアな方々の方がよっぽど詳しいものなんだから、私が彼らに話してやれることは何一つないのだ。
「……ホンマや。よう判ったわ」
 トラオはスッキリした顔で言った。喩えがよかったのだろう。腑に落ちた様子で妙に納得してくれている。
「まぁ、聞くのはすきやから。来月の第二土曜、夜勤やなかったら観に行くで」
「よろしくな。で、ふたりはいつ付き合うん、」
「だから、そんな関係じゃないですってば……」
 広代さんも意外としぶとい。まだこの話題は終わって無かったらしい。
「だって、息ぴったりやったで、いまの痴話喧嘩」
「あのね、広代さん。アナタおれの好み知ってるでしょ。歴代彼女、見て来てるでしょ。おれは面食いなんやから、蛇の目さんみたいな残念な顔の女性には興味無いんですッ」
「残念な顔って……蛇の目さん、去年付き合うてた子と変わらへんやん」
「ぜんぜん違ゃうでしょ、よく見てくださいよッ」
「まぁ、去年の子ぉは、化粧濃かったからなぁ。もうちょっと目がパッチリしてたかも……」
 広代さんはマイペースにのんびりと梅酒を啜りながら答えている。私の話題なのに何故か蚊帳の外で若干貶されながら話が進んでいるのも可笑しな状況なので、敢えて突っ込んでみた。
「ほーぅ。トラオくんは面食いなんですか。頑張ってね」
 正直、彼のルックスは悪くない方だと思う。身長だって高くはないけどそこそこあるし、太ってもいない。バンドマンにありがちな根元の黒ずんだ汚い茶髪にロン毛ではなく、黒髪短髪で清潔感もある。そして、ステージ衣装に選んでいる白シャツに黒のパンツ、ループタイだってセンス良くまとまっていてお洒落だと思う。女の子の第一印象はいいはずだ。ただ、彼の持つ社会的スペックは、一般女子、それも年上にはモテるとは言えないと思うけれど。
 そんなことを考えながら言った科白だから、もしかしたら顔が冷笑してるかのごとく歪んでいたのかもしれない。トラオは細い目を更に細めると、勢いよく席を立ち冷やかに言い放った。
「思い上がるなよ、ブ───スッ」
 そのままキーボードケースを抱えてすたすたと店を出ていくトラオの背中を唖然と見送りながら、私は隣に座る広代さんと目を見合わせる。
 なんというか、これはあれだ。小学生男子がよくやる行動パターン。
「……照れ隠し、」
「いや、言葉のまま受け取ってあげましょうよ」
 トラオに教えてあげたい。そういう発言はふつう、本人の前でやってしまうと裏目に出るのだよ、と。




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