午前中はやることがない。金は無くても時間だけは売るほど余ってるんだから、本当は飯代くらい稼ぎに行きたい。けど、制服も着てないチビのおれが昼間っから往来をうろうろしてたら、すぐに小学生に間違われて補導されちまう。制服を着てたら着てたでやっぱり補導されるだろうし、小学生じゃなくって中学生であってもやっぱり補導されるだろうから、どのみち一緒なんだけど。
だから朝方は、建物の中でじっとしてるに限る。喩えば映画館。半分ボケたような老人がモギリをやってる古びた映画館に、小人料金で朝一から入って昼過ぎまで粘る。勿論、映画を観に来たわけでは無い。飯代稼ぎに来ているのだ。平日の昼間。この時間帯に映画館に来る客は疎らで、だいたいは途中から入ってきて何時間も居座っている。時間つぶしに来た老夫婦や、暇を持て余した大学生、仮眠に座りに来る営業マンに、浮浪者みたいな薄汚れたナリのオッサン。金の無さそうな奴らばかりで、殆ど収穫は無い。けど、エアコンもないアパートの部屋の中でじっとしているよりはなんぼかマシだ。おれは上映映画の入れ替わり時にたまに出たり入ったりして、席を移動し様子を見る。狙うのは、居眠りこいてる営業マンだ。映画の中盤、周りがスクリーンに気を取られているのを確認して素早く席を移動する。こういう時、小柄な身体が役に立つ。身を屈めて動けば、後ろの席の奴らからはおれの姿なんて見えない。こっそり近付いて、映画の効果音やセリフの音量に合わせて鞄やポケットをまさぐり、財布を見付ける。そんで、暗闇の中手探りで素早く所持金を数える。小銭は触らない。砂利銭は音が鳴って危険だし、危険を冒して盗るほどの値打ちが無い。狙うは札の方だが、こちらも諭吉や稲造は敢えて置いておく。夏目サンも、数枚入っていたら一、二枚だけ抜き取って、財布は元の場所にそっと戻しておくのだ。こんな映画館に来る人間は毎回決まった顔触れだし、いくらモギリのジイサンがボケててもおれみたいなサボりの小学生よろしくな面子を忘れる訳はない。相手がスられたことに気付いて、騒ぎになったら面倒だ。もうこの映画館が使えなくなる。
映画が中盤に差し掛かり、そこそこ音もデカくなってきた頃。まだ、というより、むしろイビキをかいて顔面を天井に向けてぐっすり眠っているスーツの男に近付いた。鞄は無防備に隣の席に放り投げている。素早く中に手を入れ、財布的形状の物体を探す。無い。男のスラックスを確認すると、右の尻ポケットがそれ相応に膨らんでいるのがスクリーンの光の影で判った。判ったけど、これはいただけない。気持ちよさそうに眠りこけてる男は、尻をズラして浅めに座っている所為で、財布が完全に尻の下敷きになってしまっている。これでは気付かれずに抜き取るのは不可能だ。諦めるしかない。この回、得物になりそうな観客はもういなかった。収穫ゼロ。貴重なチケット代を無駄にした。
「やっぱりここに居った」
とぼとぼ歩いて一番後ろの列に戻ったら、端に座っていた男と目が合った。
「カンダさん」
渡りに船だ。おれはいそいそと、カンダさんの隣に座った。
「今日はな、ごっつええ話持ってきたぞ」
「ウリですか、」
「ちゃうちゃう、そんなんよりもっと楽して大金手に入る仕事や。しかも、定期的に」
「定期的」
「せや。うまくやって気に入られたら、継続的に呼んで貰える」
なんだそれ。売春より確実に大金が手に入って、尚且つ楽な仕事なんてあるだろうか。それも、おれが出来るような範疇で。そんな美味しい話が簡単に転がっているわけがない。
「嘘や思っとるな」
「そりゃあ、まぁ」
カンダさんはおれたちの斡旋屋だ。儲け話が入ったら、仕事を紹介してくれる。だいたいは売春か運び屋で、報酬は一本から三本。こんなせこいスリではした金稼ぐより、確実に万券が手に入る貴重な機会だ。
「どんな仕事なんスか」
怪しすぎるが、一応聞いてみる。
「孫バイト。一回、食事付き二時間で、これ」
すらっと人差し指を立てて、ニヤリと笑った。たった二時間、食事まで付いて一万円て。単位時間にしたらウリと大差無いが、大差ないってことはそれなりに何か苦痛な労働がある筈だ。一体、何やらされるんだ。
「なんスか、それ。聞いたこと無いんスけど」
「孫バイトか。これはなぁ、孫に相手にされへんような、淋しい老人の相手をしてやる仕事やな。孫のフリして、一緒に食事して、話聞いてやって、時に小遣い貰って、ほんで仕舞いや」
「仕舞い、って。そんなんで、一本貰えるんすか」
「ああ。運が良けりゃ小遣いも貰えるから、それ以上も堅いで。じーさんばーさんに気に入られれば、定期的に呼んで貰えるやろしな。どや、ガキのお前にうってつけの仕事やろ」
カンダさんは得意げだ。確かに、表面上の話しだけ聞けば、ウリよりも労せず金が手に入りそうだ。それに、スリや売春みたいに明らかな犯罪臭もしない。もしかしたら、合法の仕事なのかもしれない。
「危なくないんすか」
「今までの仕事の中では、一番安全なくらいや。人材派遣業やな、早い話」
人材派遣って、こんな子供にまで需要あるものなのか。理屈は判るが、俄かに信じ難い。
「ま、敢えてリスクを挙げるとすれば、そうやなぁ、ジジババに気に入られ過ぎて、抜け出せなくなる可能性があることくらいかな」
「そんなもんすかねぇ」
「やるよな、エンドウ」
美味しい話には裏があるもんだ。基本的に、カンダさんの持ってくる仕事はバックに組織が付いてるわけじゃなくって個人運営だから、信用はしてるんだけど。けど、こんな話、今までは無かった。
「ちょっと、考えさせて下さい」
「なんや、釣れへんなぁ。ほな、いつものでいっとくか、」
「お願いします」
「じゃあ、四時頃、部屋で待機な」
当然のように映画なんて観る気もない。言った傍から立ち上がり、カンダさんはひょいっとおれの膝を跨いで通路へ出た。この人はタッパもあるし、ガタイもいい。日焼けした肌に白いタオルを巻きつけた頭は、土建屋の兄ちゃんを連想させる。けど、日焼けの原因は競馬だし、頭にタオルを巻いているのはここらじゃ目立つ金髪を隠しているに過ぎない。現実なんて、そんなもんだ。それに、オッサンみたいな顔してるけど、本当は十六歳だと聞いたことがある。おれがチビで童顔なのを利用して小人料金で映画や電車の切符を買うのと同じように、カンダさんは老け顔を利用してパチ屋にも競馬場にも堂々と入っていけるらしい。
三時近くまで映画館で涼を取ってから、ようやく外へ出た。コンビニ前でカップ麺を食って、気持ちばかり体力の充填をしておく。そんで、言われた通りきっかり午後四時に、カンダさんのマンションへ行った。郵便受けの裏にある合鍵を使って中に入り、一番手前の部屋に行く。セミダブルのベッドが置いてあるだけの、生活感のない質素な部屋。なのに、シーツだけ女の子みたいな花柄で、妙に浮いている。おれはニット帽を脱いで、これまた殆ど何も入っていないクローゼットを開けた。ボックスティッシュが三つと、それより一回り小さい箱が、無造作に転がっている。その箱の中から、じゃばら状になっているコンドームを引っ張り出してミシン目でひとつ切り取り、ベッドに転がった。シーツからは案外、洗い立ての太陽のにおいがする。柔らかい布団に横になれる機会なんてこの時ぐらいしかないから、堪能しておこう。
十分くらいすると、玄関のベルが鳴った。
「ハァイ、」
魚眼レンズの向こうで、ケバイ化粧の女がウインクをする。今日のお客はミナミちゃんらしい。ドアを開けると、淡いピンクのシャツにひらひらの黒のミニスカートを履いていた。玄関の段差で、辛うじておれの目線が上になる。
「仕方ないから来てやったよ、エンドウちゃん」
それはこっちのセリフだっつーの。なんて思ったけども、大事なお得意さんだからそんなことは口にしない。むしろ話を合わせて、ご機嫌取りくらいしてやらぁ。仕事だからね。
「そのスカート、エロいねぇ。おれのためにお洒落して来てくれたん」
言いながら、ぴらっと捲ってみる。ちょっとッ、と声を上げて裾を押えたけど、もう遅い。黒地のヒョウ柄。萎える。見なければ良かった。
ミナミちゃんはする前にシャワーは浴びない。時間が無いのと、汗でべとべとのままおれに身体を舐めさせたいのとの、両方だと思う。一緒にベッドに座って、撫でる様に相手の頭に手を置いてキスをする。出来るだけ丁寧に、出来るだけねっとりと絡みつくように、首筋と耳の後ろを舐める。耳たぶを咥えたり、ゆるく噛んでみたりして焦らしながら時間を稼ぐ。頭に回した手を少しずつズラして、ほっぺたまで下ろして。首筋辺りを這いずっていた舌を顎先まで持って来たところで、ちょっと休憩。舌を引っ込めて、乾いた自分の唇をペロッと舐めた。瞬間、平手打ちが飛んで来る。
「痛てッ」
おれは布団に突っ伏した。左頬が、じんじんと熱を持ってくる。
「エンドウ、あんた今、口にしようとしたやろッ」
怒っている。鼻の穴を膨らませて。おれは、倒れたまま相手の顔を見上げた。なに勘違いしてんだ、この女は。
「してへん、してへん。するわけないやろ、NG項目ぐらい覚えてるで」
出来るだけ、ぬるい声を出して言ってみた。へらっと笑って見せる。情けない顔になるよう、意識して。こんな序盤で躓くなんて、しち面倒臭い。変な勘違いされるんだったら、サービス精神なんて出して顎先舐めるんじゃなかった。
ミナミちゃんの禁止プレイは、口へのキスと生挿入、それにゴム出しだった。この手のサービスを利用する女の人に多いのが、何故かキスの禁止。生挿入がNGなのは判るけど、キスを禁止する意味が判らない。唇を守るくらいなら、股を広げるのを止めたらいいのに、と思うけれど、そんなことを言っては元も子もないのでやめておく。
「ほんまに、」
ちょっとだけ、機嫌が直ったようだ。ここで一気に盛り返さなければ、残り時間乗り切るのがツライ。
「ほんまに、ほんま。ミナミちゃんはおれの大事なお客様なんやから、嫌がることするわけないやろ」
「せやねぇ。大事なお客様やもんねぇ」
笑顔が戻る。助かった。
「おれ、そろそろおっぱいが見たいなぁ。服脱がしてもいい、」
吐きそうなくらい甘えた声を出してやる。もう機嫌取りも疲れるし、とっとと脱がしてイカせてしまいたい。そんな邪心で逸る気持ちを抑えつつ、けど手は、シャツのボタンに掛かる。ミナミちゃんは満足そうな顔で、胸に頭を埋めるおれを見下ろしている。
「舐めて」
小柄な割に巨乳のおっぱいを両手で揉みながらちろちろやっていると、命令口調の声が聞こえて来た。ちろちろ、じゃ足りなかったか。もっと激しく吸ってやんないと、刺激が足りないのかもしれない。
「そこじゃなくて、ココ」
乳首に吸い付いていると、また言われた。気だるげに上げた腕の先を辿って行くと、人差し指の指す先には足がある。血みたいな色に塗った爪が、ひらひらと足の指を動かす所為で、きらりと光った。
そうですよね。そりゃあ、そうだ。納得だ。おれは言われるままに、指を咥えた。ベッドから降りて、床に両膝をついて、犬みたいにぺろぺろと舐めた。性を売り物に出来る女たちが、わざわざ男を買ってるんだから、ふつうにおっぱい触って乳首舐めてりゃいいわけがない。足が唾液でべたべたになるまで舐めてたら、ミナミちゃんは起き上がって、もういいよ。と、おれのおでこに口付けた。もういい、と言われて止めたらホントの犬になってしまった気がして癪だから、太腿をしゃぶって脹脛を舐め回して、そのまま局部までいってやった。ミナミちゃんの口から、声が漏れる。やっと。それまで、ちっとも感じている様子じゃなかったのに。そろそろ時間が来る。おれは自分のズボンに手を掛けて、トランクスもろとも一気にずり下げた。自分のモノに手を当てる。ちゃんと勃起している。興奮していたつもりはないのに、なんだこいつは。裏切り者だ。でも、これが無いと務まらない。
「脚、もっと持ち上げて。もっと」
ミナミちゃんの要求は、挿入後もエスカレートした。相手の両脚を持ち上げながらピストン運動するのは、かなり体力を使う。体格差があまり無いのが幸いだが、それでも呼吸が乱れる。汗が、ぼたぼたと額から直接落ちて、彼女の腹の上に溜まる。
「ごめん、もうムリ。限界、」
体力が。とは言わず、濁しておく。射精はもう少し我慢出来そうだけど、正直体力が、もう持たない。頼むから、早くイってくれ。
あ。
締め付けられる感覚が来て、おれは慌てて自分のを抜いた。
助かった。
ベッドに胡坐をかいて座り込んだまま、首を垂れた。滴り落ちる汗が、シーツの上で染みになる。そのまま、呼吸の乱れが収まるのを待った。水が飲みたい。
暫くすると、隣で横になってたミナミちゃんが口を開いた。
「エンドウも、たまにはイけばいいのに」
無責任なことをおっしゃる。おれがイってしまったら、そこでお仕舞いでしょうが。
「だいじょうぶ、ちゃんと出してるから」
へらっと笑って、口の先を縛ったゴムを見せる。けど、息が上がってうまく笑えない。
「すごい汗」
おれの、額と頬に張り付いた癖っ毛を、そっと触る。その顔は、気の毒そうな感じではない。
「満足、した、」
「うん、した」
子供みたいに無邪気な感じで、にっこりと笑った。化粧が、ちょっと崩れかかっている。
ミナミちゃんは立ち上がり、着替え始めた。ちらりと、壁の時計を確認する。そこらに脱ぎ散らかした服を拾いながら、バックの中から手鏡を出し、メイク直しを始めた。
「ねぇ。本当は、エンドウっていくつなん」
「十七」
「ウソやぁ」
「いくつでもええやろ、どうせ、変わりないんやから」
十七でも十四でも犯罪的年齢だ。それにもっと言うと、売春自体がもうアウトだし。
「おれかて、ミナミちゃんの本名も年齢も聞かされとらんのやから」
「当たり前やろ。女の子に年齢を尋ねるんは、タブーやで」
「聞かれて恥ずかしい年ちゃうやろ、まだ」
「まぁね。でも、ひみつ」
おれの売春相手のおねえさん方は、大抵、風俗嬢だ。ミナミちゃんも例に漏れずそうで、出張ヘルスで働いている。年齢は、たぶん二十一、二。カンダさんがそう言っていた。彼女たちは自分の値段より多くは払わないから、一時間で一本。部屋の提供と斡旋でカンダさんに二割のマージンを取られて、手元には八千円しか残らない。プレイ中はがっつり動かされて疲れ果てるし、彼女たちは絶対自ら動かない。それに、ちょっと過激な要求もしてくる。意にそぐわないと、殴られる。そして最後は、おれの精魂尽きた顔を見て、満足げに帰っていくのだ。
こんなのは、逆の立場になったらそっくりそのまま同じことなんだろう。ミナミちゃんは、仕事で捨てた女のプライドを取り戻しに来てるんだ。きっと。おれを、奴隷のように扱うことによって。
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