* それを、失くさないために。


4.


 結局、「ロコさん」を見付けることは出来ないまま、午後のチャイムが鳴った。
 どうにかして彼女を捕まえることは出来ないだろうか。出来れば業務の一環で話を持っていければやり易いのだが、今のところ接点のない人と仕事の話を持っていくのは難しい。そもそも、名前もまだ知らない。
 自分で探し当てるのが一番手っ取り早いのだが、それなら今日中に目星をつけてしまわなければならなかった。平均的身長、少し細身の平均的体型、よくあるセミロングの黒髪。特に目立つ顔立ちでもなかった彼女が、服や髪形を変えてしまったら、おれの記憶力では探し当てられる自信はちょっと無い。
 食堂の定食メニューを盆に取り清算カウンターの列に並んでいると、ジョンさん、と誰かに呼ばれた。辺りを見渡してみるが、人が居すぎて判らない。
「こっちですよ、ジョンさん。職場案内、今週ですけど担当者の方、決まりましたか」
「あぁ、小山内さん」
 清算カウンターのすぐ脇の席でうどんセットをテーブルに置いた女性と喋る。こないだ、うちの事務所に立ち寄って世間話と職場案内の話をした人だ。名前なんて覚えてなかったが、咄嗟にネックストラップの先にある社員証に目を遣り、さも覚えてましたよ、という顔で返事をする。総務部、小山内佳代。そうか。この人、総務課だったんだな。だからうちのフロアーでは見かけなかったんだ。
 総務課の人間は異動の手続きなんかでこっちの情報を嫌と言うほど知っているから、前々からの知人のようなノリで気軽に話しかけてくる人が多い。けどこれが困ったもので、こっちにとっては初対面だったりするから、対応に困るわけだ。この気軽なノリは、以前一緒に仕事をした仲なのか。まったく思い出せないけど、話合わせておいた方がいいのか。なんてこっちは内心ごちゃごちゃ悩んでいるというのに、蓋を開けてみれば初対面でした、ということが多いからタチが悪い。
 いや。待てよ。これは、使えるかもしれない。
「ご一緒してもいいですか」
「どうぞ」
 了承を得て、小山内佳代の正面に座る。彼女のどんぶりの器には、まだ半分ほどうどんが残っていた。話をする時間はありそうだ。
「生産課の、ロコちゃんって呼ばれてる方、誰だか判りますか」
「え、ロコちゃん、」
 質問内容が意外だったようで、小山内佳代は箸を咥えたまま顔を上げた。
 今日、こういう顔、何度見ただろう。ロコちゃんが変わった人なのか、それともおれが特定の女性を探しているのが驚きの火種なのか。その、両方なのか。
「細身で、身長百六十くらいの、若い感じの方なんですけど」
「アハッ」
 吹き出すように、笑われる。
「ジョンさんって、いくつでしたっけ」
「今年で、二十九です」
「あぁ、そうか。あなたもいい年なのね。見た目若いけど」
 そういう小山内さんの年齢は聞けない。たぶん、おれよりはいくつか年上の様に見える。三十四、五くらいだろうか。
「彼女、三十一ですよ。しかも、確かあなたと同期。入社八年目でしょ。いや、ひとつ先輩になるのかな」
「そうなんですか」
 ちょっと、驚いた。若く、というか、もっと幼く見えた。明らかに自分よりは年下だと踏んでいたのに、まさか三十越えていたとは。服装の所為だろうか。女性の年齢は、判らないものだ。そう言われてみれば、この人だって。この、高圧的とも取れる喋り口調。箸を取る、手の甲の水気の無さ。よく見ると、ファンデーションで隠しきれていないシミがいくつか頬に浮いている。もしかしたらこの人も、四十越えてたりするのかもしれない。
「彼女がどうかしたの」
「いや、ちょっと、気になることがあって」
 在日の方なんでしょうか。なんて、直球では流石に言えない。おれの場合は普段から名乗ってしまっているが、隠している人だっているのだから。なんと切り出せばコンプライアンス云々と言われずに、彼女のプロフィールを引き出せるのだろうか。
「それって、個人的探究心なの。それとも、業務に関係ある内容、」
 ハッとした。そうか。
 たぶん、個人的探究心、だろうな。確かにこんなこと、こそこそ嗅ぎまわるべきじゃないのかも知れない。ハングルでヘンなこと書いて会社のパソコンに貼り付けてたのは、明らかにおれの落ち度だ。そんなことに、なんの関係も無い人間を巻き込むわけにはいかない。
「個人的探究心ですね。スミマセン、変なこと尋ねました。忘れてください」
 素直に非を認めて、食事に集中した。もう彼女を探すのは止めよう。これからおれが、付箋紙を人目に触れるような場所に貼らなければいいだけのことだ。
「商品開発部、生産課三班の、筑濱六子
(ちくはまむつこ)よ」
「え」
 不正解の方の回答を選択したはずなのに、小山内佳代は情報を開示した。
「なに驚いてるのよ。別に個人的探究心だって、いいじゃない。うちの会社、社内恋愛禁止じゃないわよ」
「あぁ、そういうこと……」
 なんか、急にバカらしくなった。業務課のオバサンたちが騒いでた訳が判ってしまって。自分が、カチコチの頭で考えてたことにも。
「私が粘着質なストーカーと化したら、どうするんですか」
「無い無い。ジョンさんって、意外と面白いこと言うのね」
「面白くないですよ、大真面目です」
「うん、判る。だから教えたのよ。別に、隠すことでもないしね」
 だったら勿体ぶらずに早く教えろよ。と突っ込みたいところをぐっと堪えて、口を堅く閉じた。悪いけど、今は愛想笑いを出来そうにない。
「もっと面白いこと教えてあげようか。彼女、外大出なのよ。ウチの工場入社は、服飾専門卒ばかりなのに。珍しいでしょ」
 外国語科系の大学か。謎が解けたのかもしれない。
 でも、だったら何で、ここに就職したんだろう。商品開発部の生産課じゃ、とてもその知識を活かせるようには思えない。
「専攻、何語だったかとか、判りますか」
「確か、アジア系だったはずよ。あまり学生に人気が無いような、マイナーな言語学んでた気がする」
 人がやりたがらないマイナーな仕事に率先して就いて。
自分の過去を言われてる気がした。入社年度とか、案外年が近いとか、マイナーなものを選択していたとか。どうも、自分のことを言われているようで、居心地が悪い。ロコちゃん。ヘンなあだ名。チクハマムツコがどうやったらロコちゃん、になるんだ。ムツコなら、むっちゃんとかだろ。睦子、陸奥子、六子。六子、か。その字なら、ロコ、と読める。そう考えると、かわいいかもしれない。おれの、ジョンさんと同じノリだな。でも、秀貞って字から取るなら、ヒデちゃんだよ。昔は、そう呼ばれてた。もう、ヒデちゃん、って年じゃないか。いや、そんな話じゃなくて。もやもやする。何か、胸につっかえているような。
「あ、読んでませんよ。字が、お綺麗だなーって、思って」
 メジャーを首から下げた彼女を思い出す。あの、困ったような声。でもあの声で、中国語とかを流暢に喋れるんなら、聞いてみたいかも知れない。声は、年相応の落ち着いたトーンだったように思う。
「自覚ないんかも知らんけど、金山はけっこう面倒見のええとこあるで」
 木嶋さんはそう言ってくれたけど、そうなるとおれの得意分野は人材育成になるのか。今までまともに誰かを育てようとしたことなんて、ないけど。
「フフ。私、ジョンさんがいま何考えてるか判った。そういうことだったのね」
 黙り込んでたら突然、小山内佳代が喋った。一気に食堂に引き戻される。
「え、チクハマさんの事ですか」
「あら。そーだけど。意外と素直なのね。ジョンさんって、読めないわぁ」
 何のことを言っているのか判らなくなった。思考が混乱する。もやもやする。
 空になった器に向かって軽く合掌し、小山内佳代は席を立った。
「あなたがプッシュしてくれたら、あの子もここで腐らずやって行けるのかも知れないって、ちょっと思ったのよ」
 ね、イースト・マウンテン本社出向、キム・スージョンさん。そう言い残して、彼女は颯爽と去って行った。
 ここで、腐らない方法を模索してたのはおれだって同じだ。どういう意味だ。チクハマムツコも、何かに絶望し、腐りかけているのだろうか。本社出向を今更強調されても、おれみたいな平社員には何の権限も無いのに。
「塩谷くん、今週見かけないですね」
 隣のテーブルの会話が聞こえてくる。もやもやが、黒くなる。あれは、品質管理課の先輩と出向社員の首席だ。
「あぁ、寧波
(ニンポー)に出張でしょ。月末には戻るよ」
 東京本部に居た時の仕事。海外OS
(アウトソーシング)業務だ。まだ、引継ぎが終わってないのか。それとも、本部の人員縮小でこっちに業務自体を持ってきたのか。OS業務に縁のなかったおれには、詳細は判らない。
 否。
 判ろうとしなかった。調べようと思えば、すぐに情報を引き出せたはずだ。おれと塩谷は、ずっと同じ部署に居たんだから。きょう、チクハマムツコの情報を探したみたいに、誰かに聞けばよかった。
 部長表彰、子会社との提携プロジェクトの代表、海外委託業務の検査員。その、どれもがおれはやっていない業務で、塩谷大逵は随分先に進んでしまった。
 新人時代、質問された答えを探してノートにまとめていた頃からずっと、奴にはライバル視されていたかったのかもしれない。同じ畑で育って、唯一ここまで一緒にやって来た同世代として。それに、どこか少しは、先輩風を吹かせていたかった。ひとつしか、違わなくても。
 へそで茶が沸くぜ。可笑しくて、笑っちまう。
 大した能力も無いクセに、プライドだけは高くて嫌になる。自分が。
 木嶋さんの言った言葉を思い出す。
 覚悟を決める時が来たのかもしれない。おれは、この会社を辞める気は無い。だったら、ここに骨を埋めるつもりでやるしかないんだ。出向社員だとか、並列子会社だとか、経験とか、出身大学とか、国籍とか、関係なく。がむしゃらに。
「やっぱり彼も、中国語とか喋れるんでしょうか」
「全然。いつも苦労してるよ。通訳もいないしね。向こうの担当者と、カタコトの英語で対話するだけ」
「それって、品質保証出来てるんですか」
「出来てんじゃないの。専門用語同士なら、なんとか通じるもんらしいよ」
 主席も、案外呑気なもんだな。無責任なこと言っちゃって、業務はぜんぶ塩谷に丸投げかよ。
 今まで、聞かないようにしていた会話なのかもしれなかった。黒ずんだもやもやが、薄くなっていく。
 定食を平らげ、席を立った。盆を持って、返却口へ向かう。気持ち、背筋を伸ばして歩く。金山くんは背が高い分、猫背になってるから自信無さそうに見えるのよ。若いころ、他部署の女の先輩に言われたことを思い出した。
 おれには、経験も無い。能力も人よりたぶん、無い。もう、自分の可能性を無限に信じられるような二十代前半の夢見る時代は終わったのだ。それでも塩谷より勝ってるところがあるとすれば、それは経歴とかではなく、あいつよりは周りの人間に気付けることくらい。
 夢は何だ。十年後のなるべき姿は何だ。だらだら働いたこの先に、おれは何を見る。目指すものは、まだ見えない。けど。
 もしその中で、おれの経歴が活かせる時が来たなら、最大限に活用してやろう。
 流れに流されて技術も夢も見失ったおれや、自分の能力とは畑違いの同僚の中で燻っているのかもしれない、彼女のために。




あとがき


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