* モテない男と女のラプソディ


4.


 事務所にある応接用テーブルには、誰かの土産物が置いてあった。
 出張土産や、会社のお得意さんから貰ったお歳暮や、誰かが個人的に有給休暇を利用して行った旅行先のものやら様々だったが、そんなこんなで割りと日々お菓子がテーブルに乗っかっていた。俺は博多通りもんの包みをひとつ取り、口に頬張りながら誰となく聞く。
「これ、誰の土産ですか」
 仕事終わり。業績評価表の自己採点を行っていた福本さんは、机に向かってひたすらボールペンを走らせている。細かい字がびっしりと小さな枠に埋まっていく。
「あぁ。昼間、挨拶に来てたよ。誰だっけ、お前らの同期で本社離れたヤツ」
「安田ですか」
 久しぶりにその名前を思い出した。口にすることも、何年もなかった気がする。
「そうそう、安田クン。すごいねー、彼。今度、ロンドン駐在の枚方さんトコに二週間派遣されるらしいよ」
「何しに行くんスか、」
「知らない。多分、向こうの技術学びに行くんじゃない、」
「何だ、領収検査員補佐とかじゃないんですね。びっくりした」
「でも海外出張って、かっこいいよなぁ。俺も行ってみたいわ」
「そうっすねぇ」
 同期の出世は嬉しいものだが、同時に複雑な気分をもたらすものだ。競い合うことなんて趣味じゃないけど、異例のスピード出世をしている安田には、もやもやとした、なんとも言い表しにくい黒い感情が以前からあった。ライバル心、なんていうと美しく聞こえるが、多分そんなもんじゃない。本社と支店を入れて六名入社した俺の同期は直ぐにふたりが辞めてしまい、現在残っているのは四人だった。本社には俺と青木、東京支店にひとり、そして残りが系列会社に出向に出ている安田裕規。
 安田は、俺なんかと違って世渡り上手なタイプなのだ。上司や女の子のウケがいいのも、出向組に選ばれたのも、実力云々よりはゴマ擂り上手のイメージが強い。いつもにこにこ笑ってるけど、腹の内では何考えてるかさっぱり判らない。最初から、同期の中でも飲み会以外で絡んだことはなかった。それに、飲み会でも二次会から行くキャバクラや風俗には絶対に参加しない。別に、そういったことが苦手なヤツもいるわけだしそれは構わないのだが、俺たちがキャバクラに足を運んでいる間、最初の居酒屋でカウンターに座る女の子を永遠と口説いていたことを後から風の噂で聞いたときには、正直引いてしまった。
 なんというか、つまりまぁ、ノリがズレてる奴なのだ。
 そしてその変わり者の安田の歴史の中には、纐纈さんが存在した。
「あの、纐纈さんって、今日出勤でしたっけ、」
 ふと気になって、辺りを見渡す。彼女の姿は見当たらない。
「ちかたんなら、奥の喫煙室にいるよー。何、イワちゃん、彼女が気になるの、」
いや、別にそういうわけでは。と云おうとして思い留まる。彼女が気になるのか彼が気になるのか、どっちだろう。と自問してみた。やっぱり、
「一応、同期ですからね。これでも」
「嘘ばっかり」
 福本さんは顔を上げた。悪戯にニヤっと笑う。浅はかに見える俺の考えは簡単に見透かされているようだ。やっぱり気になるのは、遠くに行っちまった変わり者の同期よりも、毎日ツラを拝んでいる身近な先輩の方だ。
「大丈夫、元カレに会ったくらいで落ち込む纐纈姐サンじゃないって」
「……だといいんですが」
 あぁ見えて、レンアイには不器用なんスよ、あの人。と、胸の内で呟いた。二年前、何も云えずに言葉を噛んで彼氏に従っていた纐纈さんのことを思い出す。
 意味深な科白を残したまま喫煙室の扉を開けると、課長と纐纈さんと青木が居た。入って直ぐに、ここがいつもの談笑ルームではなくなっていることに気付く。何とも云えない、異様な空気。説教か。いや、ちょっと違う。ただ、青木が話題の蚊帳の外になっていて、居心地悪そうにしていることだけは直ぐに判った。
「悪い話じゃないと思うんだよ。とりあえず一度、会ってみないか」
「えぇっと、でも今、私、あんまり結婚とか興味なくって……。それに相手の方にもこんな塗料まみれの小汚い小娘が現れたら失礼だと思いますし……」
「小汚いからいいんだよ、何せ相手の方は自営で修理屋を切り盛りされているんだから。纐纈が塗りと板金、相手さんが整備を請け負えば、夫婦ふたりで家業も盛り上げることが出来て夢のようじゃないか」
「確かにそうですけれど。でも私とじゃ、年齢があまりにもかけ離れていて、ちょっと」
「君ね、もう相手選べる年じゃないんだから、縁談が来るうちが華だと思っておかないと。直ぐに賞味期限切れになるよ」
 じゃあ日曜日には返事しておくから、準備しておいてくれよ。と云って短くなった灰を押し潰し、課長は部屋を出て行った。
「気にしなくていいっすよ、あんなオヤジの云うことなんか」
 直ぐに青木が口を開いた。随分、我慢していたような口ぶりで、一気に吐き捨てる。
「大体、纐纈さんに対して失礼じゃないですか。女性を年齢で賞味期限だとか云って」
 確かにそうだ。それに、小汚いとも形容していた。目の前に居る本人に向かって。
 俺も、途中参加ではあったが大きく頷いてみせる。どうやら、お節介にも課長は何処かから見合い話を持ってきたようだ。今年、彼女は二十九歳。三十までに結婚を、と考える人も少なくない。だから纐纈さんも例に漏れず結婚相手を探しているものだと思い込んだのだろうか。その辺の経緯は定かではないが、課長の今の態度はかなり強引なものに映った。
 纐纈さんは大きな溜め息を吐いてから、新しいキャスター・マイルドに火を点けた。
「……でもあたしも、年齢で判断した。会ってもいない人のこと」
 今日はタイミングが悪すぎる。纐纈さんは思った以上に落ち込んでいた。課長だってちょっとは空気読んで話を持ってきたらいいものを。いくらなんでも、久しぶりに振られた元カレにばったり会った日に、望まない縁談話を持ちかけるなんて悪趣味の極みだ。
「そりゃそうっすよ。向こうのオヤジは二十以上も年若い女の子が来たらウハウハでしょーけど、こっちに待っているのは旦那の介護をしながら一人で家計を支えて、シングルマザーまっしぐらの人生なんですよ」
「二十以上って、相手五十代っすか、」
 思わずデカイ声を出してしまい、慌てて自分の口を塞ぐ。ドアのアクリルガラス越しに事務所の方を盗み見、課長の姿がないことを確認してほっと胸を撫で下ろした。
「酷い話っスね。いくらなんでも、二十上はジブンも考えられませんよ」
 煙と一緒に、俺も本心を吐き出す。でも、芸能人は二十や三十ぐらいの年の差カップルなんて結構聞くよね。と纐纈さんは云った。
「……あたし、贅沢なのかもしんない。大体、若いからって気に入られるかどうかも判らないのに、選ぶような発言をして」
「纐纈さんっ、しっかりしてくださいよ。縁談は課長が勝手に持ってきた話でしょ、別に頼んだわけじゃないんだから、」
 青木が彼女の肩を揺さぶった。いつもだったら笑いそうな話題だけれど、今日は笑えない。だって今の纐纈さんは心が弱っていて、きっと些細なことで傷付いてしまうだろうから。
 俺はまた、半年前のことを思い出した。居酒屋でのふたり。カウンターに座って、ほろ酔い気分で、小学校のときに流行った昼休みの放送の話をしていた。他愛もない、子供の頃の思い出。そんな話を延々としていて、それが不思議といつまでも途切れなくって、仕事の話なんか一切出なくって、ただの友達みたいに楽しかった。そして俺たちは将来の話をした。いつかは結婚がしたいだとか、でも子供は欲しくないだとか、奥さんとは老後になってもいつまでも仲良く手を繋いで歩きたいだとか、セックスレスは恐いけどそんなにセックスをしたいとも思わないだとか、いつかは生まれ故郷に帰りたいだとか、そういった他愛もない話をアルコールと一緒に延々と。
 その時の彼女が、年の差は三歳前後がいいな、と云ったのをはっきりと覚えている。俺と纐纈さんとの年の差は三つ。口下手で云えなかったけれど、じゃあ俺は旦那候補に入れますね、という冗談が云えるなぁと思ったからだ。
「断り辛いようでしたら、僕から云ってあげましょうか」
 断ったって問題ない。誰の目から見ても、纐纈さんの方に利が少ないのは判る話なんだから。俺は空気清浄機を挟んだ向かいで俯く彼女の目を珍しくまっすぐ見ていた。断ればいいよ。断っていいよ、纐纈さん。
 重い沈黙。暫くして、思考を振り切ったように彼女は顔を上げて横に突っ立つ男を見上げた。
「ありがとね、青木」
 そう。それを云ったのは俺ではなく、青木の方だったから。




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【作者のこぼれ話】 2012/04/10/Tue

岩原くん、心の葛藤。の巻。
変わり者の同期に、敬愛する(?)先輩の恋愛遍歴に、突然降って沸いたお節介な見合い話。仕事での評価だとか、同僚との付き合いだとか、それに対して渦巻く感情だとか。いろいろ葛藤されています。
そして、何でもハッキリ物を言えるアオキくんに、もやもやするだけで思ったことを殆ど口に出していない草食男子のイワハラくん。そんな同期ふたりを対照的に出してみたつもり。ちなみにこの様子は1話の風俗店の待合室のシーンでも同じです。

コウケツさんのお見合い話は、過去に知り合いの自動車整備士のお姉さん(当時25歳)に上司が持ってきた実話を引用させていただきました。四十五を過ぎた理容師のオッサンを強引に勧める上司に断れなくて困っていると漏らしておられました。お姉さんは実は多才な方で美容師免許も持っていたので、上司の方はちょうどいいと思われたのでしょうね。何がちょうどいいんだか。介護問題と育児問題を甘く見るな、と云いたいです。

今日も昨日も沢村の周りでは結婚話が行きかっています。そんな作者の日常に偶然にもぴったりなオハナシ。
ちなみにしぶといようですが、これは「サラリーマン青春記」ではなく「乙女小説」です。(←本当にしぶとい。)
今回の乙女ポイントは、別に恋人でもなく好意もない纐纈さんのために、ふたりの男子が本気で上司に対して腹を立ててくれたことです。普通で些細な出来事が、嬉しいお年頃です。


(C)2014 SAWAMURA YOHKO