* モテない男と女のラプソディ


2.


 荒れた畑の畦道の先に、ウチの板金場はあった。舗装された県道からちょっと乗り出したところに斜めになった軽トラが停まっている。雑草を無造作に踏み付けながら獣道を十メーター程歩くと、急に視界が開ける。目下に広がるのはエンドウ畑。その手前にある敷地には、傍から見たら不法投棄の廃材置き場にしか見えないガラクタがいつも転がっていた。バイクのフェンダーにスプリング、トラックのタイヤに軽自動車のエンジン、それに、ドラム缶がいくつか。その右手にあるのが、申し訳程度のプレハブ小屋のような建物。半分壊れたようなシャッターは全開。中では、インディゴ・ブルー色したツナギの作業着を着た小柄な塗装士が、取り外した普通車のドアにスプレーガンで塗料を吹き付けていた。
「纐纈さん、クラウンの納品書、出来ましたよ」
 入り口から少し声を張り上げる。塗装士は一通り塗り終わると、頭からすっぽり被った面を半分だけ上げて振り返った。
「ほんじゃあ休憩がてら、
伊佐治さんとこ行こっか」
 了解っス、と答えて俺は板金場のシャッターを閉めにかかった。二枚とも締め終わると、作業着の上からジャンバーを羽織った纐纈さんが鍵を持ってきて、シャッターと勝手口を施錠する。
「今日中に揃いそうなやつ、」
「全然いけますよ。スタンダードなボルトとナットとエアフィルターくらいですから」
 路肩に斜めに停めていた軽トラに乗り込む。助手席には俺、纐纈さんは太い黄色のフレームの眼鏡を掛けるとギアを一速に入れ、ハンドルを握ってクラッチペダルを踏んだ。
 伊佐治商会は板金場から一キロ圏内の町中にあった。銀行と消防署の裏手にある年季の入った三階建てのビルで、一階にある小さな事務所以外は建物全部が部品庫になっている車のパーツ屋さん。軽トラを駐車場に入れて、纐纈さんは早足で事務所に向かった。俺も彼女に続いて事務所に入ると、入り口から一番近い席に座る事務員の女性がカウンターまで出てきてくれる。
「MMPさん、いつもお世話になっています」
 透き通るような声で彼女は云って、グラビアアイドルのような完璧な笑顔でこちらに向かってにっこりと微笑む。いつものことだ。
「この五点お願いしたいんだけど、今出して貰える、」
 纐纈さんが納品書を提示する。在庫の方お調べしますね、と云って彼女は脇にあるパソコンにデータを打ち込み始めた。透き通るような白い肌。丁寧に手入れされた長い指先に、爪。そしてウェーブの掛かった長い髪は、淡い栗色。その髪がキーボードに向かって俯いた拍子に顔に掛かり、右手の人差し指で耳に掛ける。俯き加減になった横顔からは、長い睫が瞬きと共に上下して、思わずその様子に見入ってしまう。
 伊佐治商会に勤める派遣事務員の
粗志扶実。年は多分、俺と同じくらい。小さな事務所の紅一点で、文字通り職場のマドンナだ。職場の、と云っても同じ会社ではないのだけれど、ウチの会社には事務員のおねぇちゃんなんて人は雇っていなくて、事務処理もすべて自分たちでやっているもんだから、こういった、作業着を着ていない職場の華になるような存在は、日常業務で出会う人物ではこの人しかいない。
 つまり俺が日常生活の中で接触する女性はふたりだけ。ひとり目が纐纈さん。身長百五十五センチ程度しかない小柄な体躯なのに車のエンジンやフレームを難なく持ち運びする力持ちで、年中すっぴんに作業着のまま単車に跨り出勤してくるという色気のカケラも感じさせない無愛想な同僚。そしてふたり目が粗志さん。ファッション雑誌から飛び出したかのような完璧なメイクに百七十センチ近くある長身なのに華奢さすら感じさせる細身のスタイルを保ち、お人形さんと形容されるに相応しい声と屈託のない笑顔で対応してくれるという取引先の事務員。
 この極端に対照的なふたりの女性に接する自分の態度も、同じくらい極端に対照的になっているのが判っていた。正直俺は、女の人が苦手だ。だから、きれいでかわいい女の子を見ると余計にどう対応していいのか、何を喋っていいのか判らなくなる。
「大丈夫みたいですね、三階の倉庫にすべて揃っていますよ。そちらのソファーにお掛けになって待っていてください」
 パソコンの画面から顔を上げた粗志さんは、纐纈さんと俺に向かって笑顔で云うとカウンターから出て入り口手前にある階段へ向かった。それを見た纐纈さんが、慌てて身を乗り出す。
「あ、いいよ、粗志さん。そんな重いもの持って来なくても、ウチの若いのに持たせるから」
 云って、俺の腹を肘で思いっきりド突いた。声が漏れそうになる。痛い。どうやら鳩尾に入ったらしく、正直、本当に、痛い。なるべく平常心を保ったつもりで横目に見ると、纐纈さんはしかめっ面で俺を見上げて、早く行けよ、と云っていた。
「だからお前は女にモテないんだよ、素人童貞が」
 と小声で悪態を吐かれる。
「なッ…」
 んで、いま、ドーテーとか云うんですか。こんな、マドンナのいる目の前で。ワザとですか。ワザとでしょう、アンタ。童貞かどうかなんて、この状況では全くもって関係無い。しかも厳密に言うと俺、シロートドーテーではないんですけどっ。
 なんて反論が一瞬にして頭の中をぐるぐると廻った。が、反論するほどでもなかった。どっちでも似たような経験回数だって、思い当たったから。つまり、女性の扱いに、対応に、慣れていないと云われたんだ、今のは。返す言葉も無い。実際その通りだ。普段、どんな重たい物でも難なく運んでいる纐纈さんを見慣れてしまっている所為で、一般女性が非力でか弱い存在だという認識を忘れてしまっていたんだ。
 結局俺は纐纈さんの言葉に反論出来ないまま、粗志さんを追い掛けて階段を上った。
「すみません、こちらの仕事ですのに、手伝って貰っちゃって」
 粗志さんと並んで歩く。揺れる髪から、女の人の匂いが不意に鼻をつく。目線の位置は、俺と殆ど変わらない気がした。ヒールの高さもあるのだろうけど。俺が百七十一、二センチだから、彼女も百七十近くあるのかも知れない。
「いえいえ、力ぐらいしか脳が無いですからね、俺たちは。どんどん使ってやってください」
 きっかけがあると、言葉がついてくる。自分から切り出すことは出来ないけれど、相手から話題を振られれば、漫才のツッコミの要領で返すことは可能だ。そういう風に、出来ているらしい。
 粗志さんはくすっと笑った。
「面白いこと云う方だったんですね、岩原さんって」
「面白いですか、」
「ハイ。だっていつも、事務的なやり取りをするか、纐纈さんに付いて来て黙って後ろで待っている方、っていう印象だったので」
「はぁ……なるほど」
 確かに、今まで彼女とこうしてふたりきりになったことは無い。だから会話も基本的にしたことが無かったみたいだ。云われてみて初めて気付いた。
「こちらの棚ですね、ちょっと待っててください」
 倉庫は薄明かり。高く幾重にも立ち並んだ棚の所為で、蛍光灯の光りが上手く部屋全体に行き渡っていない。粗志さんの背中は少しぼんやりと映る。棚のラベルを見ながら、該当部品のナンバーを探して上下に揺れる彼女の背中。
 倉庫にはふたりっきり。もし今ここで、何かのアクシデントが起きれば。俺は粗志さんと、粗志さんに、触れることが出来たりするのかもしんない。例えば彼女があの棚の一番上の段に手を伸ばして、あのダンボールが崩れてきたりしたら。後ろにいる俺が受け止めるのは自然な流れですよね。もし万が一、彼女の身体に触ってしまっても、それは不可抗力ってヤツですよね。でもって、痴漢ッ、だなんて騒がれるどころか、感謝すらされちゃったりして。
「こちらが小部品の方ですね」
「あ、どうも」
 妄想は終わった。箱は小さかったし、棚の一番上でも粗志さんは難なく手を伸ばして抜き取っている。もしこれが纐纈さんだったら、多分届かないんだろうな。んでもって俺に「取って(ハート)」なんてことになったのかも知んない。
 いや。実際の彼女なら「岩原、あれ、持って行きな」って顎で指して終わりか。
「あとキャブレータがこちらなんですけど」
「あ、それはジブンが持ちますっ」
 慌てて前へ出る。荷物持ち要員として派遣された身なんですから、役立たずのままでは終われない。ひとつなら大した重さじゃないけど、箱で入ってればそれなりの重量になっているはずだ。
「助かります。私、上段にあるあの辺の部品出すの、苦手で。こういう時、男の人がいると頼もしいですね」
 俺が降ろした段ボール箱を取り分けながら、粗志さんはこちらを見上げて照れたように微笑んだ。これって、社交辞令なんだろうか。それとも、本心。この重さの部品を動かすことが、本当に彼女にとって重労働になるのかどうかが俺には判らない。多分、纐纈さんだったら難なく動かせそうなもんだし、俺自身も重いとは感じないから。
 粗志さんは、体型は痩せすぎなんじゃないかと思うほど細い。だから身長の割にデカイ印象は無いけど、かといってかわいらしい印象も無かった。それは、俺の偏った基準の所為かも知んない。どうやら俺自身は、力の有無で頼られることよりも、会話の際の目線の位置の方が気になるポイントらしい。身長差の所為でいつも俺を見上げて喋る纐纈さんに対して感じる変な優越感に似た満足心が、彼女に対しては得られなかったから。
 伊佐治商会からの帰り道。ちょっと寄り道をして近所のショッピングモールに入った。遅めの昼食を取るために、入り口からすぐのフードコートに立ち寄る。纐纈さんはこんなときのために、会社のロゴが入っていない薄手のジャンパーを羽織るが、正直あんまり意味はないと思う。だって横に、作業着姿丸出しの俺がいるんだから。
「やっぱりさぁ、職場にはあーゆー潤いが必要だね」
「何の話スか、」
 フードコートにあるカツ丼屋のテーブルに向かい合って座った纐纈さんが、嬉々として云った。俺は大盛りを注文したけど、纐纈さんは相変わらずハーフ丼を選んでいる。決してダイエットなどをしているわけではなく、体格も胃も小さいからすぐにお腹が膨れるらしい。実際、俺の大盛りと彼女のハーフで、食べるスピードはバランスが合うくらいだから本当なんだろう。
「アラシさんのことだよ。こう、近付いたらいい匂いしない、」
「あぁ、お部屋の芳香剤みたいな」
 あんたオッサンかよ。と思いながら、お茶を啜る。すると彼女は、目に見えて大きな溜め息を吐き捨てた。
「あれはコロンだろ。女の子の匂いってヤツだよっ」
 明らかに俺を莫迦にした口調。どうやら、云わなきゃ判って貰えないらしい。
 嘘を吐かない。吐けない。っていう自分の信念に基づいて、正直な心境を述べることにする。
「でもジブンはあーゆう化粧臭い匂いって苦手ですねぇ。どっちかっていうと、」
 纐纈さんみたいな、と云いかけて慌てて口を噤む。
「どっちかっていうと、何だよ」
 不思議そうな目をして纐纈さんが丼から顔を上げた。まるで、世の中の男はみんな粗志さんみたいなモデルタイプの女性が好きなんだろうということを信じて疑わないような、そんな目。
 ちょっと、意地悪をしてやりたくなった。
 世の中の女性ぜんぶに対する固定観念を少し壊してやりたいような、そんな気分。確かに粗志さんはキレイだ。纐纈さんが云うように、男ばかりで塗料や脂臭い異臭の漂う乾いた職場に華を添える存在であることも事実だろう。けど、彼女みたいな美人に実際憧れるかと問われれば、多分違う。目の保養にはなるし、並んで歩けば周囲の野郎どもに羨望の眼差しを向けられ優越感に浸れるだろうけれど、近くに居たいと感じるタイプとはまた違うのだ。
 美人は三日で飽きて、不美人は月日と共に愛嬌に変わる。それが人間の心理ってやつ。だって実際、初めて会った時の纐纈さんは女の子という印象なんて皆無だったし、正直云うと残念なタイプだと思った。世の中の女性がみんなそれなりに綺麗に見えているのは化粧マジックであって、化けの皮を剥がすと実際はこんな感じになるんだろうか、と疑うほどガッカリしたもんだ。
 けど、今はそこらを歩いている女性陣より彼女の方が愛嬌や親しみがあってかわいいと思えてしまっているのだから、不思議なもんだ。だって、纐纈さんの表情には偽りが無い。いつだって本音が見える。愛想笑いなんて俺にするわけないし、化粧で素顔を隠しているわけでもない。嘘偽りが絶対無いと判っている彼女の笑顔は本物で、それを見られた日には少し仕合わせな気分に浸れるのだ。
「俺は香水より、石鹸の香りがする女性の方がすきです」
 いつかの、居酒屋のカウンターに並んで座ったときのことを思い出して云った。何だかんだ云って今は纐纈さんのような女性といる方がラクで落ち着く。石鹸の香りというのは、そういう自然体でナチュラルであることの象徴のような気がした。
 纐纈さんの箸を持つ手が止まっていた。丼をテーブルに置いたまま、じっと正面に座る俺を見ている。そして、彼女はゆっくりと口を開いた。
「ビョーキだよ、お前。中学生か」
 一瞬にして突き落とされた。纐纈さんの表情には偽りが無い。いつだって本音が。
 でもその本音が、コレですか。俺は、あなたのことを云ったんですよ、纐纈さん。




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【作者のこぼれ話】 2012/04/03/Tue

自称・オトメ小説第二話。職場のマドンナ・アラシフミさん登場。私の職場にも派遣事務員の長身ですらりとした女性がいます。
女の人から見ればステキな彼女も、微妙に身長にコンプレックスのある岩原くんから見れば小さい女性のほうが気に入ったりして。
不美人も三日経てば愛嬌に変わるのか?それもホントウのことみたいですよ。以前、職場で女の子の話題で盛り上がっていた男性陣の会話を盗み(?)聞きした際に知った事実。(一部の男性だけかも知れませんが・・・)三日は嘘にしても、一年前はイマイチ評価だったはずの女の子が、性格と笑顔が判った一年後には何故か陰のアイドル扱いまで昇格していたもんで、驚きです。男の子たちからそんな話を聞いた日にゃ、希望が持てますね(←激しく勘違い!笑)

ってか今更だけど、1話の風俗嬢といい、このタイトルといい、「昭和臭さ」が漂っていると感じるのは私だけでしょうか?


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