* モテない男と女のラプソディ


1.


 こういう店に来ることに慣れてしまったのはいつからだろう。
 
熊沢チーフの送別会という名の宴会でべろべろに酔っ払って、そのままの流れで団体様八名程度でキャバクラに大移動。サービスタイムが終わる一時間の間に店を出てまた新規の客として次の店へと梯子をし、気付いたら熊沢さんはいなくなっていた。残ったのは俺と青木福本さんの三人。記憶が飛ぶくらい飲んでた割には見た目は平常心を辛うじて保っているように見えたらしい。
 個室に案内された部屋で上着を脱ぎながらそんなことを思った。だってこういう店は、泥酔客はお断りだったはずだ。
「はじめまして、アヤです。よろしくお願いしますね」
 少し鼻に掛かった声で、淡いピンクのベビードール姿の嬢が言った。壁紙の色は原色がかった黄色。これが興奮を煽る色なのかどうかは定かではないが、自分の部屋には絶対にチョイスしない色であることだけは確かだ。それが、非日常を演出するという意味では効果的なのかもしれない。
「お名前お聞きしてもよろしいですか、」
 あと、好みのプレイ内容と。と付け加えられる。
「……
岩原昭俊です」
 壁に掛かったハンガーを見ながらネクタイを緩める。時間は限られているんだから、さっさとコンディションを整えなければならない。
「やだぁ、それ、本名でしょう、」
 嬢は少し笑いながら云った。じゃああたしはなんて呼べばいい、イワハラさん、と甘えた声で聞いてくる。何でもいいっすよ。云いながら、ベルトを外してそれも一緒にハンガーにかけた。
「ジブン、嘘吐くの苦手なんスよ。だから言っちゃいますけど、こういうトコ来るのも久しぶりだし、ぶっちゃけセックスだって何年もご無沙汰です」
 アルコールは人を饒舌にする。云いたいことも、云わなくていいことも、心の声も、駄々漏れに垂れ流してしまったりするものだ。嬢は、あら、と口に手を当ててから、うーんと宙を軽く掻き混ぜる。
「じゃあシュチエーションは恋人風、でいいですか、」
 そうっスねー、と適当に返事してベッドに腰を掛けた。彼女はすぐ隣に寄り添うように座ってくる。細い太股の付け根で止まったベビードールのフリルの丈が、実に絶妙だ。見えそうで見えない位置でふわりと揺れる。
「本名名乗ってくれたから、あたしもひとつだけ本当のこと、云っちゃおうかな」
 どうぞ。と云うと、本当は二十八歳なのよ、アキくん。と彼女が突然妖艶な声音で云ったもんだから、ついうっかり顔を上げてしまった。
 視線がぶつかる。
「やっと目、合わせてくれた」
 そう云って微笑んだ彼女の顔を見て、どきりとした。当たりだったからか。嬢が、妄想の範疇よりかわいかったからか。否。そうでは無い。
 似てる。と思ったからだ。ウチの会社の、
纐纈さんに。
「アキくんって、ゼッタイ、あたしより年下だよねぇ」
「プロフ、見たんでしょ。二十五歳って」
「ウン、見たよ。だから、あなたより年下の設定にしたんだけど、さっきのコクハク聞いて、実年齢でいっちゃおーって」
莫迦にしてンすか、」
「違うよ。お姉さんが何でも教えてあげるって、云いたいの」
 そう云って彼女は唇を重ねてきた。首に、腕が廻される。薄いシャツ越しに、たわわな胸が触れた。薄っすらと、舌が入ってくる感触。
「あの、おれ、オプション無しでって…」
 追加料金を払う金は残っていないはずだった。ベロチューは頼んでいない。俺はお店で過剰なサービスを追加したいとは思わない。必要最小限のサービスだけで充分だった。女の子の肌に触れることが出来て、運良く相手の子が上手かったり相性が良かったりして、気持ちよく射精出来ればそれで満足だ。
「いーの、黙って。これはサービス」
 彼女は離した唇に人差し指を当てて、ウィスパーボイスで答えた。そのまま、肩に廻した手が、腰の辺りまで降りてくる。
「あたし、岩原くんのことすきだなー」
 半年前。居酒屋のカウンターで聞いた科白を不意に思い出した。
「本当はね、いつかあなたの恋人になりたいの」
 ウイスキーのグラスを傾けながら、蔓延の笑みで云った彼女に、俺は一言も返せなかった。纐纈さんのことは、好きでも嫌いでもなかった。どちらかというと、多分すきな方だった。でも彼女は、俺の答えを期待していないように見えたから、黙っていた。正直なところ、レンアイなんてもんは面倒臭ぇ。纐纈さんは大事な同僚だったから、変なことになってその立ち位置を失くしたくなかったのかも知れない。
 それに、彼女がその辺りまで思慮深く考えて云った重みのある科白に、その日は思えなかった。そして日が経つにつれて、どんどんその感覚は薄まって。ついでに日常業務では相変わらずな対応をする纐纈さんに慣れてしまって、あの日の出来事はアルコールマジックが産んだ幻想だったのかもしれない。と思うようになっていた。
 嬢は、耳、首筋、鎖骨、胸へと唇で身体をなぞる。彼女の吐息が胸に掛かったとき、髪が頬に触れた。香水のような芳香剤のような、少しキツイ匂いがツンと鼻につく。
 纐纈さんは、どんな匂いがするんだろう。確か、以前ふたりで飲みに行った時、カウンターの上のお品書きを手に取ろうと少し乗り出してきた彼女の身体からは、仄かに石鹸の香りがした気がする。
 ふと上目遣いに見上げてきた嬢の顔を見て、慌てて視線を逸らした。
 何考えてたんだろう、俺。こんな時に、纐纈さんのこと思い出すなんて。なんというか、不謹慎じゃないか。失礼だろ。断じて、纐纈さんとセックスがしたかったわけじゃない。この子が、たまたま彼女に似ていたから思い出してしまうんだ。それにきっと、彼女はこんなに胸が大きくはないし、身長や体格だってもっと小柄な気がする。
 じゃあ、何処が彼女に似ていると感じるんだ。顔か。確かにこの子も纐纈さんも、一般的に男受けする顔立ちではない気がする。少なくとも俺の好みではない。でも、見慣れてくるとそれもかわいいかな、と思うのも事実だ。いつも無表情で笑わない彼女が、飲みに行ったときだけよく笑顔になった。化粧っ気がなくて、俺たちと同じ男勝りな仕事をしている彼女のグラスを持つ仕草が意外に女性らしくてどきっとした。そういえば、服装だってそうだったような気がする。作業着にジャンパー姿しか見たことのなかった彼女の太股と首筋が見えたとき、あぁ、この人女の子だったんだ、と思ったんだ。
「あれ、俺が一番だと思ったのに、イワちゃんもう終わってたの」
 待合でオレンジジュースを飲みながらふたりを待っていると、福本さんが出てきた。やんちゃな表情になって、俺が座るソファーに腰掛け、耳打ちするように問う。
「もしかして、今回もハズレだった、」
 風俗店で指名もせずに入って、自分の好みの女の子に当たることなんて早々無い。若い子に当たればまだマシな方で、自分より十も十五も年上のオバサンに当たる事だって珍しくないんだ。そんな時は目の前の事実を極力見ないようにして、射精することだけに集中する。年上である分、テクニックがあると信じて。店にいるのはみんな「女の子」で、俺たちはそんな「女の子」と過激なサービスで遊ぶため身体も懐もみんなみんな曝け出してスッキリしに来ているんだから。
「福本さんこそ。いつもより早くないスか」
「いやぁ、今日の子はハズレだよ。三つも年上でしかもデブ」
「それは巨乳っていうんスよ」
「イワちゃんのそのプラス思考、見習いたいもんだわー」
 福本さんは万年独り身の俺と違って常に周りに女がいる。正直、こんな店に来る必要なんて無い。だからか知らないが、大抵理想が高すぎる気がする。金払ってんだからカワイイ子とエッチしたいのは当たり前じゃん、とこの人は答えるだろうけど。
「で。担当の子、誰に似てた、」
 どきり、とした。誰にって。それは、芸能人に喩えると、っていう単純な質問だった筈なのに、またついうっかり纐纈さんの顔を思い出してしまったから。慌ててその思考を脳内から消し去り、俺の常套句である科白を口にする。
「中学時代に好きだった子に似てました」
「……相変わらず夢見てんねぇ」
「夢ぐらい見させてくださいよ、溜まってんすから」
「カノジョ作ればいいのに」
「相手がいません」
 多少口を尖らせる。嫌味でないことは判っていたが、この人は何故か次から次へと恋人が出来、途切れたことが無い。
「青木、まだヤってんのかな。遅いっスねー」
「俺たちが早いんだって」
 待合室にある自動販売機に小銭を入れながら、福本さんが云った。
 風俗に行くときは飲み会四件目以降、景気のいいボーナスの時期か誰かの送別会の後と相場は決まっていた。家では右手が恋人の俺からしたら、生身の女の子に触れる機会なんて早々無い。二十代半ば。相手がいなくても、お年頃の成人男子の並み程度には性欲はある。セックスはしたい。でも、お店で抜くのは正直マスターベーションと大差無いことも、終わってから気付く。嬢の顔なんて、誰一人として覚えていない。実際に相手にしている女の子の顔は極力見ないようにしていた。嬢の向こうに、昔すきだった子を重ねて見たりしている自分がいる。その学生時代にすきだった子に、今更未練があるわけではない。つまり、やっぱり、セックスに求めるものはアイとかコイって感情なんだろうと思う。
 なんてキレイごとを云っても、結局は性欲に突き動かされて、金で仮初めのアイを買ってるんだろうけれど。
 暫くしたら扉が空いて、死んだフナみたいな目をした青木が姿を現した。
「何だその目は」
「岩原、もう一件付き合えっ」
「……いいけど。俺はヤんないかんね」
 しれっと答えた俺に、青木はムキになって叫ぶ。
「だいたいさぁ、ここのパネルの写真、修正酷くないか。全然別人じゃん」
「パネルに修正はつき物でしょ」
「騙された。しかもヘタクソ」
「じゃー熟女専門店行く、」
「それもヤだ」
「ヌきたいんじゃなかったの。青木は女の子に幻想抱きすぎ。そんなかわいい子がこんな店に勤めてるわけないでしょ」
「お前は枯れすぎなんだよ、岩原。一番若いくせに」
 同期の青木は二個年上だった。確かに自分でも、オッサン臭い発言をしているとは思う。
「大体あのちかたん似の嬢で満足する辺りが小っさい」
 何だ、青木も同じこと思ってたんだ。纐纈さんのことを、陰で俺らは「ちかたん」と呼んでいた。本人の前では絶対云えないけれど。コウケツさんの苗字は堅苦しかったし、名前がひらがなで読みやすかったからってのもあるけれど、職場で唯一の女性社員ということもあって、いい意味でも悪い意味でも彼女は目立ってしまっていたから。
 纐纈ちか子。今年で二十九歳。俺より一年先輩で、年は三つ上。職場のアイドルには程遠い、元来、目立たないタイプの女の子だった。




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【作者のこぼれ話】 2012/03/30/Fri

ちょっとイロイロ触発されて、久々に物語を書きたくなりました。
最近、「大人の女性のための少女まんが」ってやつにはまってまして。
そういった雰囲気のある青年漫画(主に恋愛モノ)をBOOK OFFでまとめ買いしてよく読みます。だからそんな雰囲気を目指したつもり。
物語と主人公のモデルは学生時代にアルバイトをしていたコンビニの仲間たちとその常連客のおねえさん。そして今の職場と自分自身。
職場のアイドルには程遠い、間違ってもかわいいとは形容できない女性がヒロインとして登場する、アラサー女の恋愛事情。
女性の職場にいないため、オンナゴコロが判らなさ過ぎて女性を主役には据えられませんでしたが、これは「オトメ小説」です!(断言)


(C)2014 SAWAMURA YOHKO