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* それを、失くさないために。


1.


 転勤になった。
 入社以来勤めた東京本部から、三重の本社工場へ。このクソ暑い、七月の一日に。
突然という訳でもなかったし、予想してたといえば、していた。何せ、今回の異動はただの配置換えではない。事業縮小に人件費のカット。大企業によくある話で、膨れ上がった本社の人間を大量に子会社へ流して、経費の中で最もかかる人件費を削ごうという中期計画なのだから。
 つまり、今回のおれの異動は、子会社への出向だ。
 左遷だとか、栄転だとか、見方によっちゃなんとでも言える。周りはそれで騒いでいるが、そんなことはどうでもいい。おれにとって一番重要なとこはそこでは無い。問題なのは、
「あれ。今日は塩谷
(えんや)さんと一緒の配置じゃないんですね」
 デスクに向かっていると、通りがかりの業務課の女性に言われた。
「あいつは新棟の方に行ってると思いますよ。シャツ担当だったんで」
 出来るだけ笑顔を心掛けて振り返る。不機嫌が、顔から出ないように。
「あぁ、インナー改革のチーフやってましたもんね。出張で来られてた時、よく今日子ちゃんと遅くまで残られてましたよ」
「それで帰りの関空便に乗れなくなって、次の日はよく昼出勤に代えて貰ってました」
「空港まで遠いですからね。新幹線も走ってないですし」
 談笑し合う。上辺だけで知っている情報を当たり障りなく並べて。
「ところでジョンさんは、もうこちらの環境には慣れましたか」
「ええ。皆さんによくして貰って、だいぶ」
 にっこりと、微笑む。早く、この話題から解放されたい。
 だいたいおれは、愛嬌キャラじゃないのに。何でこんなことをしなければならない。そう思うけれど、新しく来た職場で喋りかけて来てくれた人に対して、ムスッと無視も出来ない。それに、何よりも嫌なことは、塩谷と並べられることだ。
 そう。問題なのは、塩谷大逵
(たいき)と一緒に出向してきたということ。
「それでは、イースト・マウンテン本社の東京より遥々来られたお二人に、乾杯」
 先週の金曜日。おれたちの所属する商品開発部で、歓迎会が行われた。歓談の合図と同時に、塩谷の周りには人が集まってくる。奴は、二年前からシャツ改革のプロジェクトを担当していて、月一の割合で三重工場に出張に来ていたもんだから、既に知り合いは多い。おまけに、三重工場のプロジェクト代表だった前田今日子は塩谷の同期だったらしく、打ち解けるのも馴染むのも早かったみたいだ。仕事も随分、やり易かったことだろう。笑顔が嘘っぽくて、基本無表情なあいつだけど、仕事は正確できっちりしている。東京本部で塩谷が取り扱っていた商品と、ここ三重で主に取り扱われている製品も、大方同じだ。即戦力。しかも顔が割れてて、共にプロジェクトで苦労した仲間もいる。そういう奴の強みを、ここの人たちは既に知っている、という訳だ。
 対しておれは、一からの再出発みたいなものだ。入社以来七年間担当してきた梅雨アイテムは三重では取り扱っていない。しかも、おれの移動のタイミングでイースト・マウンテン社公式商品のラインナップから製品自体が外れた。おれの知識や経験が、ここで活かされることは無い。戦力外どころか、はっきり言って扱いにくいお荷物の出向社員といったところだろう。
 歓迎会と言う名のただの飲み会が繰り広げられている中、おれはひとりぐいぐいとビールを流し込んだ。どうせタダ酒。飲み放題プランだろう。場が楽しめなくたって、せめて飲むだけ飲んで、帰ることにしよう。本当は、こういう場で顔を売って翌日からの仕事を円滑に進めるための潤滑剤を入手しておくべきなんだろうけれど。意にそぐわない異動と転勤で疲れてるのに、そこまでする気力が沸かない。
 本来ならおれも塩谷も、愛想の悪い無表情キャラなはずだった。だから入社時に営業にならなかった。だから商品開発部の品質技術課なんて地味な場所で、長年鎮座しているというのに。
「お酒、強いんですね」
 瓶ビール片手に、斜め向かいに座った女の子が酌の素振りをしてきた。二十四、五くらいか。入社三年ほど経って新人色が抜け、仕事が楽しくなってきた世代の表情をしている。おれは、残っていたグラスをカラにして差し出す。
「強くないですよ。焼酎は飲めませんしね」
「そうなんですか。でもさっきからペース早いですよね」
 それは誰も喋りかけてこないからだろ。と内心悪態を吐きかけて、止まる。これじゃまるで、誰かにかまって欲しがっている子供みたいだ。本当は、おれの方から喋りかけて行かなければならない。得体の知れない本社からの出向社員なんて、取っつきにくいに決まっている。付き合いだけは長い塩谷が、気を回して周りにおれの紹介をしていてくれてるなんてのは、毛頭望めなかった。そもそも奴は余計なことは喋らないタチだ。悪口も言わない代わりに、他人を褒めたりもしないだろう。実際、塩谷が、おれの事をどう評価しているかなんて、知らないが。
「カナヤマさんは、塩谷さんのいくつ後輩なんですか」
「えっ……」
 絶句。なんで、この子。
「じゃあ、そろそろ腹も膨らんできたところですし、おふたりに自己紹介していただきましょうか。では、先輩のキムさんから」
 司会者がおれに主導権を振る。呼ばれて直ぐに座敷から立ち上がった。斜め前でビール瓶を持ったままの彼女をチラリと見る。今度は彼女の方こそ、呆けた顔でこっちを見上げている。
「どうも、初めまして。商品開発部、品質技術課で梅雨アイテムばかりずっとやってきました、金秀貞
(キムスージョン)です。今年で入社八年目。三年目までは通名の金山秀貞(かなやまひでさだ)を使ってたんで、塩谷くんからも東京でも、だいたい金山で呼ばれてました。こちらでは冬物担当になりましたが、一から覚えることばかりで全くの役立たずですので、皆さんのご指導ご鞭撻を今後ともよろしくお願いします」
 さっさと簡潔に経歴を述べて、多少の笑顔も浮かべてから、座った。これだけの情報を先だって流していれば、今後ヘンな探りや質問が飛んでくることもないだろう。塩谷がおれのことを金山さんと呼ぶことも、入社三年目の落ち着くまでは日本名を使っていた在日韓国人であることも、もう我が社で取り扱うことのない製品ばかりを取り扱っていたことも、きちんと中堅扱いされている塩谷よりも一年先輩であることも。ぜんぶ、今の自己紹介で伝わったはずだ。
「あの、ごめんなさい。私、いろいろ失礼なこと言ってしまいまして。お若く見えたので、私と同期だったら嬉しいなぁと思って」
 別に、彼女に意地悪するつもりはなかった。司会者のタイミングが悪い。
「ごめんね。アラサーのオッサンで」
 にっこりと、微笑む。愛想笑いは苦手だって言うのに、クソ。こんな局面じゃ、どうしようもない。
「よッ、色男。飲んでるか」
 テーブルの端から、課長がやって来た。もちろん、片手にビール瓶。酔っているのか、ノリが既に面倒臭い。
「いただきます」
 グラスを開けてから、差し出す。課長は並々と注いで、泡は半分くらい零れた。慌てて口に付けて喉に流し込む。
「キムくん、君は結婚してるんか」
 出た。いきなりのパワーハラスメント。左手の薬指を見てから言えばいいのに。妙齢の男にそれは禁句でしょ。管理職研修で習わなかったか。
 視界の端に、課長の左手薬指にギラリと光る金のリングを見ながら、更にその奥の席で塩谷が転勤の帯同で連れて来た妻子の話をしているのを見ながら、答える。
「してませんねぇ。ってか、浮いた話がぜんぜん無いんで」
「えぇ、こんなにイケメンなのに。ほら、俳優の横山ナントカに似てるよな。なぁ、田中ちゃん」
「ほんまや、横山シュウに似てる。背も高いし。モテるでしょ」
「インテリ眼鏡男子、いま需要あるもんな」
「若く見えるのに、実際は三十路前ってとこもそそるわぁ」
 そんなこと、初めて言われた。俳優のナンチャラに似てるだとか、モテそうだとか、若く見えるだとか。見え透いた嘘ばっか並べ立てて、だからこういう宴会は嫌いなんだ。おべんちゃら使って取り入ったって、何にもいいことなんて、ないのに。
「で、三重では何て呼ばれたい、」
「は。」
「名前やって、名前。キムくん、じゃ呼び辛いでしょ」
 何言ってんだ、この人。別にキムくんで充分なんですけど。
「折角なんやから、今まで呼ばれなかった呼び名で行こうや」
「え、この職場って、そういう主義なんですか」
「スージョンから取って、ジョンさん、ってのはどうやろか」
「ジョンさん、いいねぇ。かっこいいし、似合ってる」
「よッ、ジョンさん」
 何でこんなことになったのか。二十八年間生きて来て、こんなヘンなあだ名で呼ばれたのは初めてだ。
 いたたまれない。非常に、居辛い空気だ。
 これは別に人種差別でも何でもないのは明白だけど、頼むから塩谷と一緒の扱いにしてくれ。
 東京に居た時は、どちらかと言えば真逆の評価だった。おれが、長年在籍しているのを知っている周りの人間からは「もうオッサンなんだから」とか「なに二十代ぶってんの、ギリギリのくせに」なんて冗談めかして言われていた。塩谷をはじめとする後輩たちが次々と結婚していくのを傍目で見ている時には「金山には無縁の話しだよなぁ」とか「お前は愛想も性欲も皆無だから、オンナにはモテねぇわ」なんて先輩に笑われてた。顔に至ってはメガネキャラの定着で、それ以外の特徴で弄られたことすらない。髭を剃るとき、毎朝鏡で自分の顔は見ているけれど、なんでこんなに顔にばっかホクロが集中して出てしまったんだろう、と思うくらいで他に何も思わなかった。
 けど、転勤して来てからの数日で、その認識がガラリと変わることになる。
 最初は社交辞令のお世辞だと思っていたが、どうやらそうでもないらしい。おれは、実年齢よりもだいぶん若く見える方で、顔立ちは二枚目の部類に入るみたいだ。何でこんなに今までと反応が違うのか。戸惑ったけれど、原因はたぶん、おれの対応の所為だ。
 三重に来てからは、常に愛想笑いとちょっとした談笑を心掛けている。それはもちろん、いい齢をした社会人のマナーであって、何も特別なことではない。けど、入社したての頃の本社では、おれはもっと尖がってた。無表情で、笑うこともなく、国籍の違いで日本人の同僚たちに引けを取るもんかと、常に喧嘩腰だった。おまけに社内でもそんなにいない、有名国立大学の出身。エリート路線気取りで、ツンとしているように見えてたかもしれない。これでは好印象にもならないし、いい意味でも悪い意味でも、弄られることはない。
 第一印象が違うと、同じ人間でこうも評価が別れるものなのか。それを改めて思い知った。それと同時に、思い知らされたこともある。先入観が無いと、こうも仕事に対する反応は顕著に出るのか、と。
 人がやりたがらないマイナーな仕事に率先して付いて、それが、当社が手を出し始めたばかりの梅雨アイテムの担当だった。殆どの同世代はもっと先を見越して、息の長そうな商品の担当に手を挙げていたのに、おれは目先の損得勘定を優先させた。大勢が既に会得している技術よりも、真新しい仕事の方が早く出世できる。その目論見は多少当たって、少数先鋭の梅雨担当では第一線の活躍は出来ていたと思う。でも、大勢が目指していたシャツ路線の中で、改革プロジェクトにたった一人選ばれて三重の本工場まで出張に毎度出向いていたのは、塩谷だけだった。
 朝、三重の工場に出社して一番にすることは、当日の仕事配置の確認だ。
 東京では先二ヶ月分の計画と分担表が張り出されていて、そこから大きくズレることはなかったけれど、ここでは毎日担当する仕事が変わる。出社時刻は、今までより一時間は早くなった。朝一番にデスクのパソコンを立ち上げて、勤務配置表の共有ファイルを開く。本日の日付のタブをクリックすると、その日の出勤者の役割分担がメニューごとに掲示されていた。品質管理課の仕事は基本デスクワークだが、暫くは現場の様子を把握するためにも生産課の作業に混じっていることが多い。
 試作品A、仕分け。作業責任者には、入社三年目くらいの子の名前があり、その下に八名程度のワーカーの名前が連なっている。金秀貞の文字も、その中にあった。
 最初は、こんなもんだ。向こうだって、来て早々、厄介な仕事を押し付ける訳にも行かないし、気を遣ってくれているに違いない。違いないけれど、塩谷大逵の文字はその羅列の中にはない。ヤツの名前をスクロールして探して、見付けた時にほっとする。試作品E、ファイナル。作業責任者は、前田今日子。ワーカーは、塩谷大逵、ひとりだけ。
 仕分けもファイナル作業も、似たようなもんだ。おれが、十名近くいる烏合の衆の中の一人であることと、塩谷がプロジェクトを一緒にやっていた同期の前田今日子とたった二人だけの作業であることに、何の意味も無い。仕事に、優劣は無い。どの作業も、ひとつの製品を作り上げるための、大事な工程のひとつだ。
 でも。
 どうしても、比べてしまう。ここの人たちからすれば、塩谷の方が見知った間柄で、頼りになって、仕事を任せられる人材だということを。それは、今までの職歴から見ても明白で、間違いはない。塩谷大逵は、頼りになる男だ。仕事に対してのポリシーをしっかり持って居て、絶対に曲げない。自分に嘘はつかない。責任感は強い。常に、品質向上委員会に情報発信をしていて、部長表彰を二度も受けている。照れ屋で、愛想が無いからそういうことを自慢したりはしないけれど、周りの評価が高いのは誰の目から見ても明らかだ。
「ジョンさんって、東京ではチーフ主担当とかやってたんですよね」
 試作品Aという名の、何の布か判らないような真っ白な麻の束を仕分けしてたら、作業責任者の渡邊萌絵が聞いてきた。
「まぁ、梅雨アイテム限定ですけどね。シャツとか手伝ったことも無いし」
「うち、人手不足ですから、来月くらいからすぐにチーフ任されると思いますよ」
 そうなれば、いいけど。でも、たぶん塩谷には先を越される気がする。現時点で既に重要そうな工程の仕事に入っている比率が高い。
そうなると、ヤバイな。
「ビニール素材と綿や麻じゃ、企画からしてまるっと違うから。私にいきなりチーフなんて務まりませんよ」
 こうやって、もっともらしい言い訳を考え続けるんだろうか。
 一緒に来た後輩に、これ以上先を越されたくない。もし、ヤツに先を越されたら。
「このタグは、こうして仕上がった棚に一枚だけ貼り付ける様にしてください」
 渡邊萌絵が、仕事の流れを説明してくれる。タグの種類と貼り方に決まりがあって、一回では覚えられそうにない。おれは胸ポケットからメモ帳代わりにしている手のひらサイズの付箋紙を取り出し、ペンを滑らせる。
 仕上がり品の棚には、白タグを上に一枚。そう一枚目に書いて、ページを捲る。
「ジョンさん、真面目ですね」
 長々とメモを取るおれを、彼女は疑いもしない。二枚目には、、と書いた。
 誰にも、判らないように。




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